久しぶりに禁煙しています。

2008.12.13

先日から、少し禁煙を開始しています。震災前まで禁煙してた事があったのですけど、健康なんて構ってられない状況でしたので、それ以来、1日20本ちょい位は吸い続けています。
が、やはり体力的にかなりしんどい年になってきたのと、癌をテーマにしているTVドラマ(風のガーデン)を家族で見ているので、本格的に禁煙を考えた次第。(おや、前にもこんな事書いたような?コレですね)

でも、今度の私の禁煙法は、『吸いたかったら、我慢なんてせずに、どうぞ吸っていいですよ』 と言う禁煙。
最初からタバコの消費本数が0本にはならないので、一般的にはこれは節煙と言う事なんでしょうけど、通常20本/日吸うのが、10本/日になれば、吸ってない時間が増える訳で、その時間は禁煙しているとみなしています。実際、殆ど無理せず、2日程度で1日10本以下になりました。

但し、吸ってもいいけど、吸う前に、『本当にタバコじゃないと駄目なのか』、『タバコを今すぐ吸わないと駄目なのか』、などを自分自身に問い、タバコを吸わねばならないほどの状況で無いならば、代わりの物、例えばお茶を飲むとか、今ならみかんを食べるとか、或いは、音楽を聴くとか、遠くの景色を眺めるとか、歯を磨くとか、うがいをするとか、そんな風にします。タバコの代替に関しては、普通の禁煙の手法と同じです。

また、出来るだけ同じ灰皿のある所で吸い、吸い終わったら綺麗に並べておきます。今日は何本吸ったか、また長さから1本辺りどの程度の量を吸ったかを判断する事もできます。

こう言う作業を自分に強いる事で、言わば、”気分では無く、論理的にタバコを吸う”と言う事になりますので、タバコに火をつける回数が自然に減って来ます。また、長時間、タバコをくわえたままで、中々火をつけないと言う事もあります。消費者金融のCMでは無いですが、「計画的に」と考える事もできます。今はまだつけていませんが、喫煙本数0本の禁煙達成がほぼ確定圏内になってきたら、禁煙日記的な記録もしておこうかと考えていますので、より計画的に行えるかも知れません。

何かと頭を使う事が多いので、全く吸わない状態になると言うのは、時間がかかりそうです。それに、まだまだタバコがおいしいと感じますので、やめたいと言う極めて強い願望がある訳でも無いんですね。

昨今では、ニコチンガムやニコチンパッドなども普及し、タバコを吸いたくなった際のニコチン依存から脱却する商品も出ていますが、では、それら商品からの脱却が容易に行えるのかとか、逆にニコチンの摂取量が増加しないかなどと言った疑問も個人的に持っています。また、最近ではハイテクのタバコもどきなどもあり、赤く点灯し、煙のような水蒸気も出て、いかにもタバコを吸っているかのように見えて、バニラ味などの味もあるアイテムもあるそうですが、かなり割高な感じがします。

禁煙と言うと全く吸わない事と言う一般概念もあるのでしょうか、愛煙家の方が、無理に我慢してまで吸わないでおく状況が長く続けば、イライラして精神衛生上良くありませんし、周りにも迷惑をかけてしまいます。また、この場合の禁煙に失敗した時の反動では、より多くのタバコを吸う人もいるかも知れません。
医師などからタバコをストップさせられるほど危険な健康状態で無いならば、簡単に無理せず、お金もかけずに、ゆっくりとマイペースではじめられる、”論理的に心がけて行う節煙”と言うスタイルでの禁煙をはじめてみてはいかがでしょうか。

ここ何年かで出来た言葉の1つに、勝ち組・負け組みと言うのがある。低迷に窮する出版業救済の為、マスコミが煽り作り上げた、世間を馬鹿にした新語の1つだと私は考えている次第ですが、それはさておき。

何を以って勝ち組とするかは、比較的若年層の多いネット社会では、自分が満足したかその達成感が重要と言う、個人の価値観が特に重視されているようですが、それが人生経験に裏打ちされた物では無く、頭の中での考えのみに基づいた物で、あまりにも抽象的であれば、それは妄信的な宗教的考えと何ら変わらない物とも見れます。やはり何らかの確固たる定義を個々人が持つ事が、人生を生き抜く事への価値観に繋がり、目標を掲げ達成した事で大きな喜びに変わるものです。

ただ、最近思うようになってきた事は、人生の勝ち組と言うものは、生きている幸せを強く思える時間を長く持った者が、それに相応しいのだろうと思います。

おわかりのように、これは、一切のしがらみの無くなった老人を指しています。

昨今では、痴呆症を童還りなどと解釈する人もいますが、童還りの1つの形がボケなどであって、童還り=痴呆とは私は思いません。また、例えて言うならば、デヴィッド・クローネンバーグ監督のザ・フライのように、果たしてそこは老人になってみない事にはわからない世界なんですよね。

しかしながら、私の知っている老人達は、”長生きをすればするほど、自分が幸せ者だと思っているのではないか”と思われる者ばかりだったようにように思います。もちろん、感情が全く制御できず、怒りっぽく暴力的になったような、本当の痴呆症状態に至る前までの話です。そう言う意味では、老化と酷い痴呆が同時にやってきた人は、本当に不幸な人になるかも知れませんね。

若い頃は(あんな)年寄りなんかにはなりたく無いなどと考える時期が誰にでもあるとは思いますが、長生きしてみてから判断するのが正解だと思います。(長生きこそが幸福と言う古い概念は、実は古いのでは無く、社会がどのように変わっても、普遍的で生きる事の本質なのではないかなと)

禁煙をすれば長生きができると言う訳でも無いでしょうが、社会が社会を成す為に作り上げた数々の価値観とその呪縛から開放される年齢まで、まず健康に生きてみる為の努力の方法の1つとして、禁煙を試してみてはいかがでしょうか。

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