今年の年賀状は、確かに不人気なようだ。

2006.12.08

  「郵政公社の年賀はがきの売れ行きが昨年よりも落ち込んでいる」と言った内容の報道はご存知の通りと思いますが、実際、年賀状無料素材のページのアクセス数(同一IPを省いたVisit数) も、昨年よりも落ちています。年々、年賀状に取り掛かる時期が遅れているのがトレンドなので、年末にかけて急激に伸びる事も予想されるけれども、目下のところ昨年よりも伸びが鈍化している のはハッキリとしている。

報道などによれば、理由の1つには、若者の携帯による年賀状メール(と言うか、これって年賀状なのか? そもそも、年賀状のグリーティングカードは、メルアドしか知らない相手に対して使うようなものだったのだけれども…)の普及によって、年賀状離れが進んでいるらしい。何とも味気ないような気がするが、最も愛着のあるコミュニケーションツールが故に、そのほうが親近感があるのかも知れないが、私は、社会人として必須アイテムと言う事で所有はしているが携帯を全く使わない。(充電すらしていない。操作方法すらわからんと言うかこの程度のオモチャでは、ハナから覚える気がしない。せめてソニーのMylo程度の”モノ”としての遊び心は欲しい。或いは低機能シンプル、ハンズフリーで明瞭な音声であればいい。こんなどっちつかずの現状では、FONのような無料無線LANが普及して、Myloのような携帯型ツールで日本中でSkypeが使えたほうがずっと面白いんじゃないかなと思っている。少なくとも、可能性が完全に0の愚者故の妄想話でも無いだろう。) そんな訳で、携帯の年賀状メール流行の真意は、私には、全くわからない。単に、タダ同然で簡単だからかも知れない。

 そもそも、年賀状は、年始周りに行けない遠方の親戚・縁者、友人、知人や恩師、上司などに宛てて送るものだと思うのだけれども、正月に和服を着るどころか、年始周りのような行事すら行わない家庭が増えているのではないかと推測するので、年賀状と言う習慣がすたれてしまっても仕方の無い事なのだろう。しかし、年始周りすらできないのだから、せめて年賀状程度は出しておかねばならないと、より強く思うのは、果たして私だけなのか?

昔は、12月、文字通りの”師走”の暮れが近づけば、お歳暮が続々と届く中、家族総出の大掃除で、大の男が2人ががりでやっと持てるほどの畳上げをして、1年間の埃払で、真っ白になるほど叩きあげたもんです。床掃除、窓拭きやら、家中の大掃除では、冬場でも汗だくでランニングシャツ1枚になるほどでした。そして、米屋から餅が届き、大晦日の投売りセールで貧乏家族でも尾かしら付の鯛やら鮭を買ってきて、おせち料理を作ってる間に、男連中と子供はテレビで紅白、行く年来る年を見、除夜の鐘を聞いて、やや神妙な面持ちで、1年を回想しながら、無事に乗り切った事を感謝しつつ、おごそかに新年を迎えたものです。そして、何は無くとも、心から”おめでとうございます”と言える、嬉しく思える新しい年を迎えてました。

そう言った、1つの区切りを付ける事で、昨年は何があったにせよ、新しい年として気持ちを新たにする事ができ、毎年を大切に生きていこうと、即ち、人生を大切にしようと言う事につながっていたのだろうと思います。

ほんの小さな紙切れですが、送って嬉しい、貰って嬉しい、年賀状も、またしかりなのではないでしょうか。

年賀状の売れ行きが低迷している為に、郵政公社は、”お年玉くじ”の当選倍率を倍増させたとかどうとかの話も耳にしました。確かに、短期的な効果は見込めそうですが、懸賞的な色合いが濃くなってしまっては、益々、「どうせ自分は当たらないから年賀状はしない」かのような意見が出回るように思えます。

原点に立ち返り、ほんの僅かなお金で、お年始周り代わりのご挨拶ができる、便利な年賀状と言う、日本人の大切な習慣として考えられる機会が増えれば、どうかなと思うのですが。

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