韓国に見る、インターネット実名制の危うさ。

2009.01.16

  キッズステーションで1月25日から放送予定のアニメ”ヘタリア Axis Powers”が放送開始間際になって、急遽中止される事が決まったようだ。
先般某映画であったような昨今の不景気故のスポンサー問題では無く、「韓国を侮辱した内容」とし、作品に対し、韓国のネットユーザーの意見が高まったからの模様だ。
”ヘタリア”の内容は私は知らないので、何とも言えないが、他国のマスメディアへも影響を与えるほどのインターネットの民主性がある事に対し、日本人として羨ましく感じる面もあるが、韓国のインターネット(ネット参加者)が他国へも脅威として存在しつつあるかのように感じた。

 先日、某NHKのクローズアップ現代だったか、韓国のインターネット規制に関する番組があった。
昨年話題になった、ネットで批判された挙句自殺に追い込まれた韓国の人気歌手に代表されるように、インターネットの誹謗中傷が今も絶えず、被害者を守らねばならないと言う事のようだった。根も葉も無い誹謗中傷でもネットに書かれれば、近隣住民や会社からも批判され、住むところも職も失くしてしまいかねないらしい。

もっとも、何事にも原因があるように、思うにこれら現象は、社会の歪を反映したものであるから、ウォンの激安に代表されるように、それほど韓国経済は深刻な状況と言う事が多大に影響し、その現れでもあるのだろうと思う。
韓国のインターネットは、日本のような匿名性が保たれた物では無く、表向きは日本同様なハンドルネームだが、住民登録番号などや登録時には実名必須などで、実質的には実名登録となる。
にも関わらず、誹謗中傷と言うのは起きる。と言うか、実名故に、誹謗中傷がエスカレートする。被害者側も加害者側もそしてそれを見ている第3者すらも、もはや”リアル”の延長上なのだから、一旦火がつけばスルーできなくなる。

韓国では、相手がどこの誰かを調べようと思えば出来なくも無いような話も以前から、日韓掲示板などで見ている。また、4〜5年ほど前だったか、日本語変換対応の韓国掲示板で、少し興味深い経験をした事がある。

通常は批判の対象は日本や日本人なのだが、その時はちょっとした事で口論になった韓国人同士の二人の投稿が、相手を罵倒する過激な内容にエスカレートしていた。その間、周りの参加者は誰も止めようとしなかった。(日本なら誰かが止めに入っていただろうが)
で、その一方が「じゃぁ会うか?」などと問いかけたところ、もう一方が急に静かになった。

これでの正しいと思われる解釈は、片方が”実際に会って議論するのが苦手”なのでは無く、「会おうか?」と言った者が”腕っ節が強い”と言う事だ。
周りも暴力ざたに巻き込まれるのが嫌なので、二人を無視していたと言うところなのだろう。

これは、正論を述べる者、或いは多数の賛同者を得られる者の意見が正しいのでは無く、喧嘩の強い、暴力的な者の意見がまかり通るのを垣間見た瞬間だ。
その頃の韓国ではインターネットが原因となった、傷害事件や殺人事件も多くあったからだ。

現在の統計は確認しておらず、このような心理が今もどの程度あるのかは知らないが、もし、韓国に完全なインターネット実名制が導入されたなら、意見を述べるならば、皆が共感するような正しい物事の考え方を身につけるよりも、相手に効果的に恐怖を与える方法をマスターしたほうが早くなるかも知れない。

日本と韓国の国民性や言論の自由としての民主主義の歴史などの違い(韓国は80年代後半の民主化宣言以降とかなり浅い)もあって、日本が韓国のインターネットをモデルケースにするのは、やや無理があるかも知れないが、匿名で無い事でスルーできなくなる環境は、暴力を助長させる恐れがある事は、日本も同じであろうと思う。肉体的な暴力が想像出来ない方でも、言葉による暴力を誰も批判しなくなる事位は容易に想像がつくだろう。

また、日本では匿名が多い理由で書いたように、改名の敷居が諸外国よりも高い日本では、もしネット上で致命的な過失的行為をしてしまえば、現実社会でどこにも逃げ場が無くなる事に繋がる。即ち、社会から抹殺される可能性がある故に、より一層危険な状態になるかも知れない。因みに、日本では社会からドロップアウトしたら、這い上がるのが困難で、生きる事すら難しくなる、物乞いすら出来ない社会なのです。

一切の正義を掲げず、また信念を持たず、明らかな悪意を持った抹殺を目的とした誹謗中傷と言う物は、いかがなものかとは思うが、ネットの場合、自分の狭い世界の中だけの解釈に基づく、或いは感情に任せた意見を述べてしまう事が、結果的に善意の第3者を傷つけ、誹謗中傷に結びつく事も珍しくは無い。

しかし、暴力や権力に屈する事の無い、自由に意見や批判ができる環境を維持する事が、ネットを健全に保ち続けているのならば、自由な意見が出来ないネットと言うのは、基本的な人権が抑圧された、怖いネットになる。その状況が拡大し、言論の自由が社会からも消え失せれば、それはもう、民主主義国家では無くなると言う事だろう。それこそ、真の恐怖の到来になるのではないだろうか。

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