私達に、ホームレス対策で何ができるのかなどを少し考えてみる…

2007.02.02

  ここのところ、米国映画”幸せのちから”の映画予告編を、TVのCMでよく見る。昨年、海外の予告編サイトで見て、『ほぉ〜』などと思った。新しいカタチのアメリカンドリームと言う印象だった。ホームレスから、億万長者になった黒人男性の実話を映画化した作品。日本でも、似たような事はあって、ネットでは有名な話になっているけれども、ホームレスを取り巻く話題は相変わらずお寒いようだ。(映画”長い散歩”がヒット中の奥田瑛二監督などもホームレスだったらしい)

国際女子マラソンが行われる、大阪の長居公園のホームレスのテント撤去にしてもどうなんだろうか。強制撤去する事で、国際的に人道的に批判的な目で見られ、国際化都市をすすめる大阪にとってはマイナスに働く事は無いのだろうか。かと言って不法占拠であるのだから、放置すべき事では無いが、国際女子マラソンの開催に邪魔にならないような形で双方が歩み寄りはできないものかと思う。(ボンクラな私には趣旨が適切に汲み取れない、”長居公園行政代執行に対する研究者”の声明には、国内外の大学教授・教育機関関係者の名前が賛同者として多数並んでいる。)

他方、NPOなどによるホームレス支援も増加している。”ビッグイシュー”などのホームレス自立支援雑誌を販売する都府県も増加しているようだ。先週の朝生でも、田原さんが講義した学生も、3割が起業を目指し、2割がNPO,NGOを目指すなどとしていた。(因みに、私の学生時代は企業への就職以外を目指す者はオカシイとされており、日々葛藤の連続だった者としては、羨ましい限りだ。) しかし、起業をすると言う事は、一歩間違えればホームレスと言う事だ。もちろん、会社経営をする者ならば、腹はいつでも切れる位の覚悟は必要だし、ドラスティックな人生をも愉しめてこその適性を持った起業家だと私は考えるが、(ホームレスとして)地に落ちた時、這い上がるのが容易では無く、屋外で眠った場合は(差別的で稚拙な認識を持った、ハイティーンのホームレス襲撃事件によって、ごく普通の学生が行っているなどの解決が容易では無い実態などが明らかになってきているように)命の危機を覚悟せねばならない。欧米ほどの手厚い支援は期待せずとも、誰でもホームレスになる可能性のある時代故に、生命に危機が及ぶような状況があってはならないと思う。故に、悠々と起業できる若者は、アイデアとバイタリティーが溢れるだけでは無く、会社経営で失敗した際のリスクを回避できるスポンサーなどを持った一部の者に限定され、例えば親が資産家で支援してくれるなどであり、誰にでもチャンスがある社会とは言い難いのではないだろうか。敗者と勝者が固定化しない格差社会でこそ、受け入れられる筈なのだが、ホームレスの可能性を考慮した際、状況は違ってくるのかも知れない。

現代の若者のホームレスでは、”ネットカフェ難民”と言うのも増加しているらしい。漫画喫茶で寝泊りし、日雇労働者として収入を得ているようだ。先日も、日テレ系のNNNドキュメントでネットカフェ難民を扱った番組がああったらしい。ネットでも、以前から漫画喫茶住まいのホームレスによる掲示板サイトなどへの投稿があったのを見る機会もあったが、趣味・趣向が特別変わっていると言う認識は無かった。比較的真面目風に見える、普通の若者達だ。ただし、仕事にあぶれてしまい、漫画喫茶を寝宿にできず、野宿せねばならない状況が続けば、かなり辛いだろうと思う。襲撃にあわず、生命に危機が及ぶ事は無かったとしても、寒風吹きすさぶ中で生命の危機感を感じながら眠ると言う日々を続けると言う事は、一機に老化を進め、精神構造や脳の働き、体力の低下などだけでは無く、容姿も変貌してしまうだろう。(何度かご紹介していますが、阪神大震災の時も、日々の心労で見る間に白髪で皺だらけに老化してしまった方が、ご近所にも何人もいました。)

さて、『ではお前に、ホームレス対策で何ができるのか?』と、自問自答した場合、小市民として現実的にできる事は非常に限られてきて、実質、何もできない事を思い知らされます。

日本は法治国家であって、それに従わねばなりません。故に、現代は乞食行為が軽犯罪法違反ですので、ホームレスが何か金品を望んで来た場合もそれに応じてはいけません。不法占拠などの違法行為をしているならば、それを幇助してはいけません。せいぜい、道端でリアカーで立ち往生していたら押すのを助けてあげたり、廃品回収を手伝ってあげたり程度の事しか、一般的な小市民にはできないように思われます。ですので、米国などのように、大企業が社会貢献事業として行うのならばそれら企業の製品を購入したり、或いは、選挙で、より適切な政党や政治家に投票する程度のものでしょう。(それこそ、元ホームレスの経歴を持った代議士などが登場すれば、社会の認識が一気に変わるかも知れませんね。)

 現代のホームレスの問題は、もしかしたら、私達の心の問題なのかも知れません。今も昔も、まず、自分や家族の身には起きないと言う考えではありますが、可能性が全く無い訳でも無いのも、昔から変わらないんですよね。また、昔の乞食よりも、今のホームレスは身なりはいいし、(ホームレス自立支援法などを見る限り)待遇も良いように思いますが、それとは反対に、現代は、そうなる事への不安が高くなっているように思えます。

昔は、近所の道端や商店街、市電やバスの停留所などに、明らかにそれとわかる風貌で物乞いをする人を時々見かけました。そして、僅かな金額ではあっても、缶などにお金が入っているのも見ていました。それは、彼らの存在が認められているのであり、誰かが助けてあげようと言う思いがそこにあると言う事を、私達は知らない内に認識していたのではないでしょうか。あるいは、『今日は、あの乞食さん見かけないけど、何かあったのかな?』『今日は、別のところで見かけたよ』 などのように、心配している会話をしていたのを覚えています。ですので、もし、万が一、自分が、自分の家族がそういう運命になってしまったとしても、生きていけるのではないか、或いは、もし、万が一病に倒れてしまっても、心配してくれている誰かがいたのではないかと思える状況が、昔はあったように思います。(もちろん、差別的・排他的にする人もいましたが、そうしない人が圧倒数だった事のほうが、重要なんですよね。)

しかし、現代は彼らと一般社会人と結ぶ繋がりが希薄になった事で、様々な問題を引き起こしているように思えます。日本は、欧米のような(何を買うから、何セントくれ)などの積極的な物乞いを容認できる文化圏でも無く、(反社会的に悪用されかねないリスクもある)物乞いを容認するような法の改正などを望む訳ではありませんが、(ホームレスを)区別しない社会コミュニティーの中で、助け合いの精神が根付くような、子供でもわかり易いカタチが、もしあったとしたならば、それは最も望ましいのではないかなと思う次第です。

目下のところは、『ホームレスになっても、そこから大金持ちになれる人だっているんだよ』って事を、子供でも知るようになれば、多少は偏見も減るかも知れないかなぁ… って、程度ですかね。

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