それでも生きていた、ペリリュー島の兵士達の証言を見て。

2008.08.02

 一昨日 7月31日の深夜、某NHKで、証言記録 兵士 たちの戦争「ペリリュー島 終わりなき持久戦〜」 を放送していた。

概要はタイトル通り。但し、これまでよくあったような終戦記念日に向けてのNHK的な番組では無い。63回目の終戦記念日を迎えるにあたって、今、肉声で伝えておかねばならない、残しておかねばならない、当時のパラオ共和国ペリリュー島での絶望的な地獄の戦いから生還した日本兵達が語る、生々しい戦争の真実が、そこにあった。

「ここ えぐられたんだよ。腐っちまうからな。こうやって、包帯取ると、ウジがボロボロって落ちるようになるよ。」「重症の患者なんて、殆どそれで逝っちまうよ。」
「何しろもう見れたもんじゃないよ。死骸ばかりだから。すごいよ。夜歩くとき、あばら骨踏んで歩くようなもんだよ。バリッバリッてね」
「もう、臭いの臭いのね。人間の臭いというのはあんなに臭いもんですか。腐ったのは」
「(防空壕の中は)もうなんもかんも、豚小屋のようだから。うんこも垂れとるし、小便もあちこちにするしね」
「すごいよ。死んだ人間食べるって人もいるんだよ。中には。腹が減っちゃって」
「水と言うのは、もう小便飲む人もおったしね。死ぬ間際って言うのは、水はあんなに欲しくなるんですか」
「(戦友が突然)敵だ敵だと、鉄砲振り回すからね。おかしくなってるからねぇ。しょうがないから、殺してやるほかないの。」

約1万人の日本兵の中で、生き残った34名の中で、番組の取材に応じた、ご健在の方々の自宅でのインタビュー形式で番組は進められていた。その中の一人、終戦から2年後、米軍の呼びかけに応じ、玉砕完遂のゲリラ状態だった日本兵を生還へと導いた、土田喜代一さんは、過去にもテレビ番組にも出ていたので、当時の内容を語る事に慣れていらっしゃったかも知れませんが、その他の方に関しては、ご家族も初めて聞いたと言うほどでしたので、今まで語る事も出来なかったのかも知れません。(他にもご健在の方はいらっしゃるかも知れませんが、番組に出てられたのは、確か5名ほどでした。)

防空壕内で火炎放射器で焼かれたり、手榴弾で自決したりと言うのは、沖縄戦での民間人においてもそうで、奥様の親族も体験してきているようですが、当時の事を、全く語らずして亡くなった者もいるそうです。言えないでしょう。

別に、(戦時中に)このような事があったのを、初めて知った訳では無く、物心のつかないような子供の頃から、そのような場面が描かれている戦争映画や戦争マンガは良く見てましたし、明治や大正の年寄り達から、色々な話は聞かされて育っています。なので、内容は別に驚くような事でも無く、類似した話なら、既知の事なのです。

ただ、その当事者達の肉声は、自分達が理解していた戦争は、或いは知識程度に過ぎなかったのだよと、諭されているかのように感じた事。わかる筈は無い。けれども、感じたのは、戦争の悲惨さだとか、ましてや興味本位的なグロさだとか、そう言う事じゃない。生き抜いた彼らのような日本兵がいたがが故に、今日の日本があるのだと感じられる事。そして、定かではないが幾らかは彼らの遺伝子を、また私達は受け継いでいるのだと言う事。それは、ありがたい事なのだと。

因みに、パラオのペリリュー島の住民の死者は0人だったそうです。これは、日本軍が米軍が上陸する前に島民を疎開させていたからだそうです。また、島民は日本兵の遺体を埋葬し、長きに渡って弔っているとの事です。独立後のパラオの国旗が、日本の日の丸と類似している事からもいかに日本(日本人)を尊敬し、恩を感じているかがわかるかと思います。(それ以前のスペインやドイツによる厳しい植民地時代からすれば、日本による統治で、社会が大幅に改善された経緯があります)

今年も終戦記念日が近づくにつれ、関連した番組が増えると思います。近年、情報公開が進んだ事もあって、戦争が何故起きたかについては、詳細な考察が述べられる場面を見る機会が増えました。極めて大雑把に言わせて貰えれば、あの戦争(太平洋戦争)の原因については、第2次大戦に米国が参戦する理由があったから、米国は日本が開戦するように仕向けたと言うところで、第2次大戦が起きたのは、第1次大戦があったからだろうと思います。

現代も、武力が外交力に影響を与え続ける国際社会であり、日本においては隣国の暴走の可能性などの脅威は存在しますが、様々なバランスを巧みに調整しながら、競争発展を継続する時代ですので、武力や兵器を使った、大規模な戦闘が起こり、日本が参戦せねばならないかのような状況になると考えるのは、あまり現実的では無いでしょう。日本の危機は、それよりも、直面している、更に悪化が懸念される不況や高齢化社会等の諸問題であり、また、それらが影響し、増加し続ける自殺を含む死者達は、或る意味戦死者達と同じかも知れません。(自殺に関しては、平成10年以降毎年3万人以上で推移)

我々が過去の戦争から学ぶべき事の1つは、それでも日本国民は諦めずに最後まで生き抜いた事だろうと思います。生き抜く事が難しいと言われる現代において、先人達の残した生き様は、大いなる遺産であろうと思う次第です。

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