平忠度 胴塚と腕塚 場所と地図

2012.05.12

 毎週日曜放送中のNHK大河ドラマ 平清盛にあやかってか、神戸市では”KOBE de 清盛 2012”と言う清盛ゆかりの地などを紹介するキャンペーンを実施しています。

昨年9月に紹介した、施設無料開放の神戸観光の日にも清盛のイラストが掲載されており、清盛での盛り上がりに随分期待されてい たのが推測されます。他方で、NHKの平清盛の視聴率が歴代大河ドラマの中で最低と言われるほど悪いらしいそうです。

そのような訳で、見に来る人はいないだろうと思っていた、すぐご近所の平忠度(たいらのただのり。平清盛の異母弟)の胴塚や腕塚ですが、たまにそれらしい方がい らっしゃっているようなので、地図などを含めて簡単に紹介しておきます。

近くに右のような清盛(清盛君?)のイラスト入りの旗が目印で立ってますが、土地勘が無いと少し迷うかと思いますので、参考にどうぞ。

因みに、キセル(無賃乗車)を”薩摩守”と言うのは、この薩摩守平忠度(ただのり。因みに”薩摩守”は忠度の役職)に由来した駄洒落であり、清盛の弟などよりも、こちらのほうで一般的に有名な方です。

平忠度 胴塚(首塚)

平忠度の胴を埋めた所と伝えられ現在は石碑が立てられています。以前は塔があったそうです。
・場所:神戸市長田区野田町8丁目

見過ごしてしまいそうな小ささです。地域のご近所さんの支援で維持されています。
右端に胴塚(その上に平忠度)と書かれてある案内があるので、ここが胴塚だとわかる。

後ろは、いかなごや珍味などを製造販売する伍魚福のビル。表からは死角になっててすぐには見えない。

内部はこんな感じ。正面がお地蔵様で、右が平忠度の石碑。

見上げるとここの紹介があり、以下のように記されてある。

薩摩守平忠度(1144年-1184年)は平清盛の末の弟で、文武に秀でた将に平家「一門の花」と云われていた。源平一の谷の合戦に於いて源氏の武将岡部六弥太忠澄(おかべ ろくやた ただすみ)に討たれ惜しくもこの地で戦死したが最後は駒ヶ林の辺だと伝えられている。歌道は藤原俊成に師事し「千載集」にも詠人知らずとして採られているほど武芸にも歌道にも優れた良い武将であった。 人は皆、敵も味方もこの武将の死を惜しんだ。
(抜粋)


平忠度 腕塚

平忠度の切り落とされた腕を埋めた所と云われている場所に立つお堂です。
・場所:長田区駒ヶ林4丁目5番

居酒屋ちかの隣に、看板があって、「これより南60m下る」とある。直線コースでは無いが、途中の道標や案内を見ながら、民家の間の細い路地を含め、腕塚堂の看板のある建物を目指して迷わず進む。

お堂の前には石灯籠や立派な石塔(塚)がある。

お堂の中には入れない。手前の賽銭箱にお賽銭を入れると、右の参拝記念のスタンプ入りの紙を頂ける。

後ろにはこの腕塚の案内があり、以下のように記されている。

平忠度は平清盛の末弟で、歌道にもすぐれ豪男で知られた武将でした。
源平一の谷の合戦(1184年)のとき、平忠度は一の谷陣の大将でしたが、敗れて駒ヶ林指して落ち行く途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄(おかべ ろくやた ただすみ)と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に右腕を切り落とされてしまいました。忠度はついに静かに念仏して討たれ、そのエビラ(矢を入れて背に負う道具)には、「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主ならまし」と言う歌が書かれた紙片が結ばれていたといわれます。
(抜粋)

平忠度 腕塚と胴塚の地図

幹線道路から青い線に沿って進めば腕塚と胴塚が見つかると思われます
最寄り駅はJR新長田駅。神戸地下鉄海岸線駒ヶ林駅のほうが近い。

※因みに、Google Mapで、”平忠度”や”平忠度 胴塚”などで普通に検索しても、現時点では正しい結果は得られません(よくある事です)。上記掲載の地図を参照下さい。

最後に

 私は須磨寺を代表として源氏平家関連の遺跡などが多い須磨で育ったので、奥まった民家の中とかビルの真横とかに遺跡があるのは、未だにちょっと意外な感じはしますが、逆にちゃんと同じ場所で残している事や、ご近所の方々がお参りをしているのを見ると、信仰心の厚さが、昔と同じ場所に留め残したのではないかなと言う気がします。

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