クリア感覚?

2004.05.30

 世代の特色って、無さそうでありそうですね。いや、成功してるとかしてないとかは別にして、思春期辺りに影響された物とかって、何かありそうな。例えば、ファミコン。『キーボードも無しで、プログラムも組めやしない、何に使えるんだ、これ? ファミリーコンピューターって名前だけ?』と声を揃えて言った物が、家庭用ゲーム機なる”標準語”まで作り出し、興味が無くてもニュースで見せられてしまう、度重なるロープレ購入の為の長蛇の列。成人式を遥かに過ぎても、世界に没頭している者の話も決して耳にする機会が少なく無い。

 私は、山登り、毎週の唯一の楽しみのウルトラマンのある日に、今なら幼児虐待さながらの絵図で無理やりつれて行かれた経験豊富で育ってきたので、嫌いだけれども、慣れていてわかっている。と思う。でも、あの山の向こうには何も無い。そう考えている。と言うか悟っている。今居る所のほうがイイでは無く、山を越えてもそんなに世界は変わらない。変わるのは変えようとする意思の強い自分であって、達成感では無く、結果がもたらす物でも無い。過程のほうで、変えようとした時の自分の意思の強さがどうかと思っている。もし、結果がもたらす物があれば、ありきたりに言えば、それは更なる試練であったりする。おうおうにして、嫌味な世界に起因する物のほうが多い。ただ、世の中カッコつけたがりが多いから、『成功を認めろ』と素晴らしいのだと自己顕示しているだけの事だと。しかし、私の知る限り、本当に成功を続けている者は、比較的地味で目だたない者のほうが多いように思う。

 アクセスアップにせよ、ネットビジネスにせよ、なんだか、そんな、『ここをクリアさえしたら…』みたいな風潮があるように感じられるのは、主体的な世代がそうだからかなと、ふと思う。

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