追加に悩むカテゴリー 無料募金

2007.05.12

 当サイトは、koossになって以降は、(アダルトや反社会的サイト以外ならば)あらゆる無料サイトを紹介して行く事をモットーとしています。で、最近は、無料募金サイトが増加していますので、いずれは避けては通れないような予感がしているので、頭を悩ましています。

そもそも、クリック型募金とは、企業がクリックした人に代わって募金をして、社会の役に立つし、企業宣伝にもなると言う事ですが、企業宣伝に効果が無い場合でも、企業は、クリックした人のボランティア意識が高まる事を期待して参加している云々と言ったような内容の発言をどこかで見かけた事があります。が、ネットを徘徊して思うのは、今は、本当にクリックするだけで、ボランティア活動ができた、人を救う事ができるんだと思う人が増えて、それがアクション(実際にボランティア活動を行う事)の弊害になっている可能性があるように思うので、これはいかがなものなのかなと言うのがまず1点。

次に、募金と言う形だけど、実質アフィリエイト報酬(ネット収入サイトへ登録などをさせる)の一部を募金へ回すと言うパターンの個人サイトが増加している点。最初から募金と言う事で勧誘している。企業のように監査がある訳でも無く、収支が不透明なので、本当に募金を目的とした善意によるものなのか、新手の(楽に稼ぐ事を目的とした)副業サイトに属するのか、よくわからないが、もし、無料募金と言うカテゴリーを設けてしまえば、これらも紹介せねばならない事になるのでしょう。

もちろん、日本の米国化が進めば、募金はビジネスであって、運営にあたって利益を得ても何もおかしくは無いと言う認識も出てくるでしょうし、これも知価革命なのだと言われれば、時代と言う事なのだろうと言う事になるでしょう。実際、クリック型募金の運営企業の資本金は、あれよあれよと言う間に膨れ、数千万円のところもあるようです。

さて、人を救う、人を助けると言うのは、至難の業です。人命や人助けに関わる専門的な業務に従事する者でも無い限り、自分や家族すらの面倒も100%見切れない、器の無い一般的な人間が、他人を救う事なぞ、なかなかできるものではありません。甲斐性なしが故に、苦い思いで、まさしく苦渋を舐めてきたと言う方も少なくは無いでしょう。それが、人生です。大なり小なり、人はみな、そのような重い過去を背負いながら生き続けているんですよね。そのような経験があれば、たかがクリック程度で人が救える訳なぞ無いと誰しも思うでしょう。もちろん、僅かなお金で買えるワクチンで何人の子供が助かるかのような事も承知しているでしょう。(ただ、貧困と戦争を無くす為に、本当に必要なのは健全な教育で、そう言う意味で私は、100ドルPCは素晴らしいと思ってます。MITの100ドルPC構想はまだ道半ばですが、既に、Intelの200ドル台のノートパソコン Classmate PCがパキスタンに70万台の受注を受けており、インドでは10ドルPC構想も浮上しているだとか。デルのAtlon64x2搭載ノートPCが5万円台=500ドル代で日本でも普通に買える時代なのですから、もう何も驚いたりはしませんが…) だから、欲しい物を買うのを少し抑える回数を増やしたり、遊びに出かける回数を減らしたりして、ちゃんと身銭を切って、募金をするんです。(書いてませんでしたけど、先日の地震でも、奥様がコソッと郵便振替で募金してたりします。本人は私にも黙ってるつもりだったみたいです。)

ところで、私もヘンコツな人間だとは思うけれども、私の明治生まれの祖父は私とは比較にならないほど、かなりヘンコツな人でして、他界して数十年にはなりますが、元気だった頃、もう70歳は過ぎてたように思いますが、それでも外出する時はスーツを着て帽子を被って、懐中時計を懐に忍ばせており、ご近所からはオシャレな紳士と思われていたようで、亡くなった時は、ご近所の半世紀以上若かりし頃は娘さんだった女性の皆さんが大挙して、仏前に押し寄せてきたのを驚いた記憶があります。(もちろん、会釈する程度の付き合いです。口が達者なほうでは無いので、連れ添いが無くなって長くても口説くような事などは一切できずの筈です。) が、スーツと言っても、数十年物で、裏地はボロボロで裁縫でボロ布を当てまくっていたり、下着のふんどしは、何年も使っているので変色していたり、自分で着る物すらまともに買わない人なので、老人にしてはかなり健康で、腕力も大したもので趣味の大工仕事や、趣味の山歩きも欠かさないほど健脚でしたが、それでも70代で冬に薄着していれば、流石に乾布摩擦で鍛える年でも無く、風邪を引くので、母が見かねてラクダのシャツを買って黙って枕元に置いていたほどです。しかし、お金が無かった訳では無く、蓄えもあり、年金も貰っていましたが、家に一銭もいれる訳でも無いし、私たち孫に小遣いをくれる訳でも無いまま、90を過ぎ、亡くなった時は、葬式代も残さないままだったようです。(もちろん(?)痴呆になってからは、恵まれた有料老人ホームなどに入れず、近隣の病院にはどこも空き室も無く、頻繁に会いに行く事のできない、車での往復に1日がかりの遠方の精神病院に入らざるをえず、家族ともども辛い思いをしていましたが… 明治の生まれで専修大学出の書生で、ずっと勉学熱心なまま老いた、老人でしたので、痴呆になっても知恵は回るし、馬鹿じゃないので、状況を理解していながらの入院だったでしょうから、さぞかし辛かっただろうと… あぁ、書いていて色々と思い出した事があります。当時は私にはわからなかった事ですね。わかってるつもりの小生意気な若造だったのですよ。) で、何にお金を使っていたかと言うと、殆どが寄付だったみたいですね。誰に言うでもなく、やっていたようです。自分で使うお金は、せいぜい、勉強(書籍と習字道具類の購入)と酒代とお茶菓子程度だったようです。 そうそう、水道代(水資源)が勿体無いからと、手洗いも雨水を貯めてしておりました。

かの悪名高かった、マイクロソフトのビルゲイツ氏にしても、莫大な個人資産の大半を、寄付されているご時世ですので、募金ビジネスで利益を上げた企業ならば、いずれは、同様にその資産は寄付に回される事になる宿命を持っているのだろうと思いますし、そもそも、企業広告のあり方が、莫大な費用を費やすテレビやメディア広告一辺倒から、このような形式に僅かでもなるのは望ましい事ですので、もしかしたら、あまり神経質になるほどの事も無いのかも知れませんが…

無料サイト集 Kooss (run)記

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