全核兵器消滅計画 SFでは無い?

2005.08.24

 すんなり一気に読めました。最近の物理学に精通していない者でも楽に読める特に難しくない内容です。メインのニュートリノを使った核兵器廃絶に関する記事以外の、原爆の構造についての説明やマンハッタン計画と開発に携わった当時の精鋭の物理学者達などの記事の割合が多いので、原爆・戦争関連の書籍として普通に読めます。(本文では、ウラン型のヒロシマ原爆とは異なり、現在世界の大半を占める長崎のプルトニウム型について述べられてあり、原爆開発者から見れば、作った兵器(=原爆)を実験せずして、終戦を迎えてはならないと言う焦りがあったと言う解釈のようですね)

で、副題の『これはSFではない』ですが、ニュートリノを使って原爆を無力化できる事はSFでは無いでしょうが、それだけの規模の莫大な巨費を投じた装置(巨大加速器)などが建設可能な、反核でまとまる国際的な同意が取れる社会状況になるかと言うと、そちらはSF的に思えます。核を保有する大国が自らの優位性を削ぐ為に一致団結した国際統一社会を作るとは、私に到底思えません。また、全くの弊害の危険性無く中性子を発生させる事ができるかと言う点と、逆に強大な兵器として使われはしまいかと言う点。大量破壊兵器というよりも、全世界の要人のみをピンポイントで狙った殺人兵器のほうが現実的でしょうか。

とは言うものの、これがもし、国際的な権威のある物へも影響を与え、1つの動きのきっかけにれば、核兵器への大きな抑止になる可能性などにはおおいに期待したいし、そう言う意味ではこう言った本が出る事は意義深いのではなかろうかと思う次第です。『SFでは無い』と言う事ですが、理屈っぽい大人が堪能できるSFとして読ませて頂きました。因みに、一般書店ではあまり無いようなので取り寄せになります。ネットならアマゾンなど大手の本通販サイトでは扱っています。

で、この手の話題は8月を過ぎると書きづらくなるので、もう1つ、こちらで書いた特攻隊での補足ですが。私の親族・親戚縁者や仕事などで関わってきた方達との交流を通じて感じてきた事ですが、明治・大正前期の世代の人間と、特異な教育を受けた大正後期(大正末期)から、昭和初期にかけての世代では、分けて考えるべき事ですが、人命が(国家などよりも)軽かったなど以外で、今と大きく違うと思われるのは、男女の恋愛観についてでしょうか。(遊びでは無い真面目な)自由恋愛などが広く一般化したのは、戦後のように思われますし、愛だの恋だのを国民全員が肯定的に認め、流行歌では高らかに歌い上げるような昨今の状況を、果たして昔の人間達は全員が”うらやましい”と思うか。もし、彼らがそのままタイムスリップでもして現代に来たならば、私は”下衆”(げす)と蔑む者も少なからずいるようにすら思います。(性の解放の事では無く、好きだのと言う気持ちをあからさまにしている姿のみに対してです) 特に特攻隊で亡くなられた若い世代の方々は、母親の事を思い『お母さん』と言い死んでいった者も少なくは無いと聞きますが、そう言った母性的な愛しか知らずに亡くなった者も多かったのではないか、また母親への愛情を、一層強く感じていた世代ではないかと思う次第です。

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