21世紀、今後100年を予想してみる

2005.08.28

 鬼より狼が気になってきている日曜の朝です。(最初見た時はアズラかと思ってしまいました。テレ東系ならワイヤーフレームも結構使うんでしょうか、面白そうです。あと、映画化されるReflexですが、当時、大人向きと言うより、ただ暗い感じなだけだったような…)

 さて、21世紀中、今後100年に起こりえる事の予想として、車が空を飛び、飛行機がロケット並みの速さで飛行し、月ロケット旅行が流行し、人間はコンピューターと融合し更に知能が向上し、機械と結合し病気・怪我で失った体の一部を補う、又は更なる進化を遂げたサイボーグ的人間体として。家では行き届いた心配りをする愛嬌の良い家政婦ロボットを超えたアンドロイドすらも当たり前になり… などと、一見すると子供じみているSF的な話も、起きてしまえば当たり前なんでしょうね。LED表示のマシン語で組み、簡単なロジックボードの制御程度しかできなかった、たかだか20数年ほど前には考えもつかなかった、今の驚異的進化を遂げ続けるパソコンのように。

しかしながら、そんな高度成長期に夢見た未来の社会に、今も本気で夢を馳せるのは、今や一握りの人達で、豊かな人生を実感する為に強いる犠牲があるなばら、犠牲を避ける事ができる道を選び、家族の幸せを守りたいと思うほうが一般大衆の人情だろうし、大多数ではないだろうか。

もちろん、それにはマスコミ報道による視覚的影響の強い、近年の例で言えば、巨大地震などの天変地異や大惨事などへの不安もあるが、それ以上に、最近、あまり声高に言われなくなった、エネルギー問題・地球温暖化問題・食糧危機・高齢化問題のほうが遙かに恐ろしい筈である。にも関わらず、日本を含めた国際的な動きは、なんとか知恵を出して回避し、安全で豊かな生活を守ろうと言う動きや働きかけは強く感じず、それよりも、今後100年以上の時間をかけて、避けられない重大な危機的局面をも一致団結して乗り越えていける強い人間になるべきだと言う方向にシフトしてきているように思えてならない。”さじを投げている”んじゃなだろうか。かと言って、これは(絶対的な価値観による)不幸な人が増えると言う事でも無く、価値観の更なる多様性や宗教感(因みに今は占いが宗教ですね)が経済や社会にも、より一層の変化を生み、例えば、税金もかからない志ある者のコスト不要の民間サービスの増加でするなどで、頑張れば生きていける状況も今よりも増えるとも思います。(非営利NPOと言う制度的な”カタチ”を必要としない自然発生的な助け合い的現象を想定しています。)

また、社会環境の危機的変化の前に、より一層差別化が進む資本主義経済により、資本主義とは離別せざるをえない者が多数を占めてきた場合、同時に資本主義経済も弱体化するでしょう。また、それより先に、国家として見た場合、日本はエネルギー資源・食料の殆どを輸入に依存していますが、急速な不足状況によって自給率の低い国は輸入制限がかる可能性から、最も深刻な影響を受けるのは日本であり、お金持ちの国である優位性は無くなり、自給自足中心が原則となるでしょう。グローバル化を目指した経済優先社会は崩壊します。エネルギー問題は全世界的な社会の高齢化と地球温暖化に伴い、予想を遙かに超える速さで現実化するかも知れません。)

終末論では無いですが、終末論的思想は、それを煽る事で勢力を伸ばした前世紀末の宗教的団体などもあり、災害などとは異なる、現実に目に見えない危機感を煽る事は良くない事と言う風潮が継続している事もあり、新世紀を何事も無く通り過ごした今でも、ことさらに煽る事は良くないと思われますが、地球規模の大局的な見地に立った物の見方をすれば、これらは明らかにSF的とも言いがたいように思います。

もし、この世に無駄な事は無いのであるのならば、かかる近い将来に起こりうる様々な困難的な局面も、更にやや遠い将来、必ず乗り越えていかねばならない巨大な壁の為に用意されている筈です。超心理学的意味で言えば、Synchronicityもそうでしょう。宗教的に言えば、人の業(カルマ)もそうかも知れません。(それが人間の知恵として、もしかすれば科学技術の革命的進歩を生み、危機が無くなる事も考えられますが、今のような、世界的な無責任さがまかり通るようでは、楽観論者にはなれません。)

これは何かと言うと、物質・文明文化から、精神文化へのシフトに他ならないのではないか。それが21世紀、これからの100年の人間の人生の豊かさを支えていくのではないかと考えています。

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