日航機事故20年

2005.08.12

 全員駄目だと思われた中、生きてる人がいたんだ。良かったと思った。
あの女の子(あえて名前は出しませんが)は、看護婦になられたと言う話を以前に聞いた。

 彼女が何も語らず、写真すら殆どマスコミにも出なかったのは、奇異な存在として追いかけるマスコミへのアンチ的意識もあったとは思うが、全てのマスコミがそうでも無いと理解できる年齢になった今でも口を固く閉ざしている事から、それだけでは無いだろうと思う。
今、死と正面に向かい合える年齢になって、ようやく重い口を開く、戦争経験者達を見れば、自分だけが生き残った辛さ・重責は、当時子供であった者でも強くのしかかる事が伺えるだろう。
彼女は墜落した時、未だ生きていた父親や友達や乗客達の声を数多く聞き、その声が少しつづしなくなって、人が死んでいく様をしっかり覚えていたのだから。更に言えば、その後、彼女は母親と一緒に死にたかったとすら漏らしたそうだ。
最大の原因は、子供には生き残るに耐え難い酷い事故であったと言う事なのではなかろうか。
32歳になった今でも、PTSDの症状が出ると言う。

 この事故は数日前から、マスコミで話題になっている。ひねくれ者の私が素直に時事ネタを日記を書くのには理由がある。最大の理由は、昨年2004年の運勢では地震を当てた YOMIURI ONLINEの九州発が、今年2005年の運勢で紹介しているように、列車事故を当て、落雷事故もほぼ当たっているような状況の中で、注意すべきとしているのが、飛行機事故だからだ。
このような占いが当たらない為にも、20年前の日航機事故を風化させず、航空会社と利用者への事故への注意喚起を、より多くの人がすべきだろうと思う。

遺族の方々には20年と言う節目と言う物は無いかも知れません。心より哀悼の意を表したいと思います。

関連:日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る20年間の記録

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