生徒を廊下に立たせると言う事。

2008.02.26
 実のところ、私は小中学生時代などで、学校の廊下に立たされたような記憶は無い。ただ、(色々と事情があって)宿題を殆どしなかった時期があったので、そのまま立たされていた事や、頭を叩かれていたような事は幾度もある。ただ、テレビの特番や、伝え聞く最近の学校の状況などを見ると、教師が子供を廊下に立たせると言う指導のあり方は、必要性が増してきているのだろうと思う。ともかく静かにせず、落ち着きが無い子供が多いらしい。

もちろん、教育に限らず、何事においてもそうだが、正しい用い方が重要で、教師の持つ権力の発動、或いは暴力的な体罰としてでは無く、一時的な孤立による集中力を高めさせる手段として、或いは、授業の邪魔をし先生や他の生徒に迷惑をかけた事の反省を促す為の手段として、廊下に立たせるなどがあっても然るべきだろうと思う。

私の場合は、家庭内の躾のほうが厳しく、小学校に上がる随分前から、叩かれたり殴られたり、”やいと”をされたりもありましたが、言うことを聞かない場合などは、立たされるなどよりも遙かにきつい、独房のような、押入れや家の裏の倉庫の暗闇の中に、紐で縛られ猿轡をされて何時間も放り込まれていました。(子供ですからね。このまま死んでしまうんじゃないかと言う怖さがあります。なので、学校での罰などの類は屁でも無いと言う…) それ以降、大人になって当時の事を思い出しても、それは(当時の時代故の)”躾”などとしか考えていませんでしたが、最近は、そのような”家庭内教育”があって、精神力や集中力が高まった面があるのではないかと考えが少しづつ変わって来るようになりました。それなりに、良い思い出でもあり、有り難い事でもあると。

・・・と、そんな事をふと、数日前に思っていたら、”detention room”と言う見慣れない単語を目にしました。

そのまま日本語に訳すると、拘留部屋,居残り部屋などになる。これは、(最近の)米国などの教育熱の高い諸外国で導入されている、上で書いたような”独房”に近いもののようで、宿題を忘れたとか、授業中におしゃべりをするなどの軽い校則違反者を隔離し、一人で反省をさせる為の場らしいようです。

ここで、”軽い校則違反者”と書きましたが、これは米国でのゼロトレランスの導入によるものです。トレランス=ゼロ、即ち、”寛容無し”で、問答無用でルールはルールとして、違反者には罰則を与える形に変わってきていると言う事の模様です。米国でも、州や学校によって差異などがある模様ですが、概要などは”ゼロトレランス”で検索すれば、すぐわかると思います。

日本でもこのゼロトレランスが徐々に導入されている模様です。一見すると、体罰重視のような昔の教育に後戻りするかのように勘違いされるかも知れませんが、大人社会にあるような一定の厳格なルールを導入すると言う事ですから、子供を子供と見ず(寛容に接せず)、自発的な自己責任を促す事にあると思われます。

もちろん、米国では学校での銃による事件などに象徴されるような、(多分)日本とは比較にならないほどの学校崩壊があって、厳しいゼロトレランスが導入された模様ですので、日本で広く導入されたとしても、米国ほどに徹底されるとは思えませんが、少なくとも、今の形での”いじめ”や”不登校”などの問題は解消されるのではないかなと思う次第です。”子供気分のままじゃいられなくする”のですから、子供特有の甘えた考えや行動は抑制され、自然とそうなるんじゃないでしょうか。(早期に社会人を生み出す社会を構成すると言う事ですから、勤勉で真面目な学生を増やし、高齢化が進む国家の優秀な労働力不足を補うなどだけでは無く、生活力のある自立した若者が増えると言う事は、抜本的な少子化対策にも繋がって行くだろうと思われます。)

「廊下に立たせる事は体罰でいけない事だ」などと言うような意見も未だネット上には見受けられますが、「昔は、廊下に立つ位で済んで良かったなぁ…」と言う事にな るかも知れませんね。

つい数年前まで(或いは現在も)、「体罰は断じて駄目」、「子供の自由や自主性の尊重」、「愛情を持って子供と対話を続ける事が重要」等々が当たり前の事だと思ってた方々も多いでしょうが、あいも変わらず、物凄く変化の激しい”時代”なんだって事ですね。

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