震災から20年。震災発生直前に目が覚め地震の音などを聞いていました。

2015.01.16

 明日で震災(阪神大震災)から20年になる。と言う事で今年は特番が多く、出来る限り目を通すようにしている。(もちろん?)震災の時を思い出して感傷に浸る云々と言うのでは無く、20年を継起にして震災の記憶を塗り替えてしまえ的な”アヤシゲな動き”が無いかと気にしていると言うのが正確な所だろうか。

写真は、昨年の”1.17ながた”。20年前、当時まだ独身だった私は須磨区の実家で被災にあい(我が家は半壊で住んだが、近隣の家二十数件は1件を除いて全て全壊)、 結婚後こちら(長田区)に越してきてから”1.17ながた”は毎年撮影している。当時、特に家族や近しい人に死者がいた訳では無いが、 ご近所で亡くなられた方々はいらっしゃった。供養に関しては、震災直後の生活すら困難だった時や病気などで出来ない日を除いて、ほぼ毎日やっているので、写真ももちろん毎回撮りに行く。

しかし、昨年のこの写真はこの編集室にはアップしなかった。理由は、「震災の時起きてて地震の音を聞きました」と言う、20歳にも満たない と思われるような人のPOSTがネット上で散見できたからだ。

注目して貰えるなら、ウケるならどんなウソでもどんな事でもやっていいのがネット(今は犯罪を犯してもイイのがネットになってますね。SNSって諸刃の剣なので、ちゃんと運営しないと、幾ら大手でも致命傷になりかねないんじゃないでしょうかね。)なので、震災の話もネタとして扱う輩が雨後の竹の子のように沸いて出て来る訳です。

そんな所なので、真面目に本当の事を書くのが馬鹿馬鹿しくなって昨年は掲載をやめた。と言う所でしょうか。
結局の所「阪神大震災は笑えた」などの以前のネットの反応から、そんなに変わって無いと言うのもあるのでしょう。

さて、「震災の時起きてて地震の音を聞きました」の件ですが、あの時、起きて、地震の音をちゃんと聞いていた人は多分、そんなにいない。

当時、他の被災者にも(尋ね無くても喋ってくるので)聞いたが、多くが、最初に察知したのは地震の揺れだったか、せいぜい、地響きと共に地震が起きて行く時の音を聞いたと言う程度だったと思う。ともかく、最初の音の話題を直接話して共有できた人は、未だかつて一人もいない。

本当に起きていたら、最初の音も聞いた筈なのだが、その音を言ってる人は私はまだ直接会って話した事が無い。地震発生が、冬の早朝5時46分だった事で殆どの人は眠っていたのだろうと思う。

前日の16日は確か、仕事を終え、夕食を済ませてから、多分17日の2時位までずっとプログラム(Cかアセンブラか)をして、そのまま(いつものように)疲れ果ててベッドで眠ったのは覚えている。

虫の知らせか地震発生直前に目が覚めた時に聞いた最初の音は、「バァーーーーン」と言うような大きな破裂と言うか炸裂と言うか、10年前に書いた記事にも書いてますが、もう少しイメージし易く言うと、かなり遠方で落ちた雷の筈なのに、すぐ近くに落ちた時の落雷のような高めの音がやや長く続いたと言う感じだろうか。

須磨海岸から歩いて数分の実家の2階が私の部屋だったが、その音が発生したのは、海の沖かもっと向こう(淡路島と言うイメージは無かったが)と言う感覚はあった。

ただ、最初の音はミサイルの着弾か?と思ったし、家が揺れてる間も、地震とは思って無かった。”揺れ”に関しては、明るくなって倒壊した近隣の家々を見て地震だと理解して物理的に後から解釈しただけの事で、その最中は暗闇で何も見えてなかったので、凄まじい音や宙に浮いている感覚が強く、何者かに家が叩かれてるとか、どつき回されてると感じたが正解で、ともかく得体の知れない現象が起きていると考察していた。もう少し正確に書くと状況を考察しながら死の可能性を悟りつつ覚悟していた。

しかしながら、阪神大震災が酷かったのは、あんな所にあんな大きな橋(明石海峡大橋)を作った事で、神が怒ったと言う意見が当時多く聞く事ができたほどの物理的な強大な地震エネルギーによる損害よりも、自衛隊出動が遅れ亡くなった方々も多かったのではないかと言う事、(今から見れば)地方災害クラスの扱いで対応された事、在京マスコミ報道が(今から見れば人権侵害程度の物もあるほどに)酷かった事、3月以降はオウム事件(地下鉄サリン事件)の対応が国としては主体になった事、復興計画と言う名の都市計画が推進された事、と言う辺りに集約されるのではないだろうか。

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