顔が見えないから酷い事を言ってしまう

2004.06.20

 「顔が見えないから、チャットでも酷い事を言ってしまう。」今朝の朝刊の地方欄で、年齢相応に、高校生が述べていた意見。逆に言えば、『顔が見えないと、そんな酷い事を言ってしまう人なんですね。あなたって。』 と言う事になる。逆に、このネット。実は、人に優しい、人に優しくしたい幾人もの人達が縁の下からささえているからこそ、楽しく、便利で安全な物になっている。これも顔が見えないからこそできる訳で、人に見られてたら、いい事って、できない人は少なく無いですよ。

何年も前から書いてるように、ネットなら無防備に本音をさらけ出しているからだけの話しで、では、あらゆる場面でネットマナーを徹底し、防備する事が、果たして良い事ばかりかと言うとどうだろう。実社会でも本音で会話できない友人や、ぎくしゃくした人間関係構築しか出来ない場が多い中、唯一開放された場の筈であった物さえも、仮面をして本音を殺して交流せざるを得なくなれば、ストレスの溜まる世代のはけ口は、本当に行き場を無くせば、果たしてどうなるのか。

ところで、徘徊中に見た、Infoseekのニュース(社会欄)で、毎日かどこかの記事だったように思うが、数年前に同様な事件の被害にあった家族の手記を見た。それは殺人には至らなかったが、その事件の被害者家族にすれば、酷似しているとの事だった。子供だからと、総論で片付ける事は暴論でしか無いが、今回の事件を通してのマスコミ報道では、この世代の子供の心に潜む闇のような手記が、殆ど無かった事がやや意外に思えるようになってきた。確かに、過剰にヒステリックになりがちな保護者や、社会的な悪影響を考えれば、”特別な環境”や”特別な存在”、”特別な趣味”と言った方向性で、「わが子とは違うんだ」と言う”安心感”を取ったほうが良かったのかも知れないが、それはもしかしたら、本質を見定める機会を無くしてしまっているのかも知れない。

4月の日記でも書きましたが、本当に、怖い大人が減りましたね。自分の種から出来た物の本質すら見抜けないようでは、何も怖くはありません。

あ、そうそう。ついでですので。

顔が見えたほうが、良い結果を生まないから、顔が見えない、ネットでの交流の結果、本当に良い出会いができるのが、メル友です。その考えは、今も変わりありません。顔が見えたほうが安全と思ってる人は、多分、まだわかってないです。インターネット。

人は、目に見える物に捉われると、その向こうにある物を見ようとしなくなるので、本質を見誤ります。

あぁ、そうそう。何度か書いてる、これもついでですので。

私と私の奥様は、ネット恋愛で結婚しました。私の性質は、商売人の子せがれですが、石橋を叩いて(或る程度細かく砕いて)分析してから渡るタイプです。一方、奥様は、非常に活発で男女問わずもてて、友達交流も盛んですが、本質は超保守派で危険な事を一切しない人です。多分、お互い、街中で会っても、恋に落ちる事は無かっただろうし、もし何かの交流があっても、双方が築きあげてきた既成概念が邪魔をして、仲良くなる事すら無かったかも知れないと思います。でも、メールだったら、駆け引きも打算も何も無く、安全にお互いが見えたからなんですよね。

要は、『インターネットは人だ』って、事に帰結するんですけどね。

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