緒形拳さんがお亡くなりになられました。

2008.10.07

 俳優の緒形拳さんが本日未明にお亡くなりになられた。先日、10月1日に、CM動画のページに女優の竹内結子さんと共演するCMを追加紹介したばかりだ。 が、先ほど確認したところ、緒形拳さんのバージョンが無くなっている模様。故人への配慮と言う事なのだろう。

肝臓癌を患っていたとの話もあるようだが、CM映像からは全くそのような印象を受けない、孫が好きな元気なおじいちゃんを好演していた。最後まで硬派だったのだろう。
日本人の平均寿命はが、男性79才,女性86才(2006年時統計)と伸びているだけに、早い死と言う印象は拭えない。 ただ、生涯現役の役者を貫き通せた、緒形拳と言う俳優は幸せだったのだろうと思う。 ただ長く生きるだけを目的とし、それが精一杯の生き方であるのが今の老人の多くである事からすれば、間違い無く幸せなに人生を生き抜いた人の一人だろう。

公式サイトの掲示板には、訃報を聞いた方達の無数のコメントが並ぶ。高齢の俳優の死去で、公式サイトの掲示板にこれだけの数の投稿があった例を私は知らない。 多くの国民から愛された俳優だった事が伺えるだろう。もちろん、それに応え続けてきた役者が故だろう。

 実は、病床についていた名古屋の叔父が、先週末から容態が急変している。人工呼吸器により生命が維持されている状況のようだ。今日は叔父(兄)の見舞い(実質的には世話ですが)に行っていた母が実家へ戻ってきたようなので、昼過ぎから奥様が様子を伺いに行っている。

沢山の老人を看取ってきた若い頃とは違い、気力の衰弱度は激しいだろう。決して幸福とは言えない人生を歩んできた、最も年齢の近く仲の良かった兄弟だけに、動かなくなっている機械付けの体を拭きながら、幼少の頃から現代までがフラッシュバックし、強い感慨を受けたかも知れない。

とうの昔に死を恐れなくなった母も、次は自分の順番と言う事で理解はしているとは思うが、そのような理屈とは別に一気に衰えるかも知れない。 よくドラマなどで描かれる、血縁者がまた一人減った事での寂しさや空虚感などによるものでは無い。 血縁者の中で最も年長となり、遠い過去を知る者も近くにおらず、一人で受け入れてしまう事で、感情やエネルギーの激しい消耗が起こり、その反動で、その後の気力を衰えさせる。老人にとって生きると言う事は、気力のウェイトが大きいからだ。 そう言う意味でも、そのような思いを分散して共有し、自然に受けいれられる要素を持った、伝統的な葬式と言う儀式は重要になってくるのだろうと思う。

世の中には、人は死ぬ為に生きていると言う人もいる。確かに万人に公平に訪れるものであり、故に、死と言う現象を前提にすれば、社会的地位や経済的能力などは殆ど意味を成さないほど絶大な物であり、そのような言い方もできるかも知れない。だがしかし、死は、生きた結果の終焉であって、目的では無い。また、老いて死に近づきリアリティーとして感じる事で、死は恐れるべきほどの物では無く受け入れられ、生きながら死を隣人のように感じて来るようになる。故に、あらためて生を見つめなおし、人として悟る事もあるものだろう。

あらためて思う。人生は本当に短い。向学心・探究心に溢れ、洞察力に長け、ひらめきを感じる期間と言うのは、更に短い。見るもの、聞くものから、人よりも多く何かを感じれる内は、どんどん消化吸収したほうがいい。脈々と先祖から受け継いだ、享受した能力を、無駄に浪費している時間など無い。

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