WCサッカーを応援しない者は、非国民なのか?

2006.06.20

 クロアチア戦での、 リプレイ映像も、結構、うんざりするほど見ていたりしますが、寝ても覚めても、WCサッカーで、可能性が0とは言えないテポドン2の日本被弾など、どうでもいいかのような、熱狂振りが連日続いていて、応援しない者は、非国民とすら言われかねない状況ですが、では、日本では、サッカーが昔から人気があったのかと言えばそうでも無い。ましてや、サッカーも全く人気が無かった頃のほうが記憶には大きい。

子供の頃は、下手でもサッカーが好きで、(昔からひねくれ者の私は)野球に興味が無く、”変わり者”と言われていて、釜本や漫画アニメの赤き血のイレブンなどが、一部で人気があった以外は、サッパリ人気の無いスポーツだったと思います。プレイするのは楽しいけれども、見ていてもつまらないスポーツですからね。

それが、毎年のように景気浮揚効果期待などもあって、国民的スポーツとなり、2002年は開催地(日韓共同開催)になるなどし、WC参加も国民的な(?)行事にすらなっているように思いますが、さて、では、今回の2006年のWCは、日本にとって、本当に景気浮揚効果、経済波及効果があるのかと考えると、私は、大きく疑問符を持ちます。少なくとも、試合が行われている日は、外出や行楽などは控えるし、買い控えも起こります。ネットのアクセスも大幅に減りますが、ネットショッピングも同様に減っているのでしょう。実質はマイナスではないか?と思うのですが、よく言われている、大型液晶TVの販売数増加に貢献する云々も、WCが1つのきっかけではある点は間違い無いとは思いますが、(デジタル化と言う)潜在的な需要があってのウェイトが大きく、実質は、購入時期を早める効果にしか過ぎないのではないかと考えています。日本の国益に合致するとは思いますが、国をあげて、国民が一丸となって応援するほどの物では無いでしょう。

で、”非国民”と言う言葉すらも、一時は禁句だったような感もあるのですが、今では、(使う事に抵抗の無いような)当たり前?なのかな? スポーツ競技で健全に盛り上がる事は良い事ですが、見ないのも自由だし、応援しないのも自由の筈なのに、その個人の権利を否定して、非国民として解釈されるケースが増えるのは、危険ですね。仮想的な集団的意識の中、応援する事に脅迫的観念に駆られ、強制的ともなれば、カルトな宗教的集団と変わりないように思いますが…(で、何度か書いているように、日本は”神の国”ですが、即ち、海や山、森、家の中や、便所に至るまで、至る所に、”神”がいた、神の国で、信仰心が厚かったのが、戦争の為に、他の神々では無く、天皇崇拝となり、敗戦で天皇が神では無くなった事で、この国からは神々が消え、信仰の対象が、経済発展や学歴主義社会へと変貌し、高度成長社会を果たしたものの、バブル崩壊により、それらも信仰の対象では無くなり、”愛”や流行歌などの”愛をテーマにしたメディア”へと信仰の対象がシフトしたのですが、それらから、より、大きな一体感と言う幸福感が得られる行事としての、スポーツの祭典に、信仰の対象がシフトしているとも、考えられそうですが… 更に言えば、一体感が得られる物ならば、何でも歓迎するかのような方向に進んでしまえば、戦争すらも肯定しかねませんので、極めて危険ですね。)

もちろん、中田のような気概を持った、素晴らしいプレイヤーがいる日本ですから、私も、応援はしますが、熱狂的になるほどのような事でも無いし、TVで、解説者かレポーターだったかが言ってたような、『勝てるなら、アンフェアなプレーも止む無し』のような発言などは、到底承知できませんね。おかしいですよ。頭を冷やしたほうがいいです。

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