理由を知ると言う事

2004.10.03

 理由を知りたい、理屈を知りたいと言う事は、理屈を重視すると言う事だから、それだけで無知であるとも言えるし、無知故に悪で、無知のままで良しとするのはより悪であるけれども、聞くは一時の恥とは言え、厚顔無恥な恥知らずであるのも知ってか知らずか、それでも良しとするのも悪であろうと思うが、では、自ら学べとする事は、無防備な者へも真実を知らしめる事で、善であるとも言えず、詰まるところ、大人の論理で、居心地の良い嘘は少なからず必要にあると… ともかく、時として理由を知ると言う事は、理由を言わない大人になりうると言う事も往々にしてあるのが、今のネットなのかなと。かと言って、そんな大人ばかり増えすぎると言う事は、日常的社会と何ら変わり映えのしない、無機質で血の通わない環境を構築する事にも繋がりかねない。

当たり前の話だけれども、1つしか答えの無い問いなどは存在しない。数字にしても、限りなく1に近い物を、仮の1としている事で存在しうる物。実在する事は限りなく無い。それを根拠にするから、過ちが起きる。でも、何も経験の無い、或いは何も自信の無い、根拠とする頼れる物が数少ない者は、そのような物にすがるしか無い。多分、すがっている事にすらも気づいて無いのだろう。そもそも、何らかの基準が無いと成立しない故の利便性に過ぎないのだけれども。

言われ尽くされてるけれども、実社会経験の無い学校しか知らない者が、中身はどうであろうと、学校出たで保護者から崇めたてまつられ、その気になって、人を指導する立場になるから、過ちを侵す。無意味に血税を食い漁る箱物を作り続けるお役人にも同じ事は言えるんだろう。果たして、国際協調に基づくインフレ誘導が成功して借金を減らせるのかどうか。多分、誰にも止められない大きな歯車は動いているんだろうなと。全ては結果論で、多くの人が幸せになれるかどうか次第なんですが。

因みに、私は興味の対象は、概ね例外にある。例外とはドロップアウトや偏執的な部分などと言うカテゴリー分類され易い物では無く、派生された物、或いは、実はそちらこそが本質と言う物だろうと思います。

たまにはいいかなと思って、懐疑的な羅列の塊を書いてみました。こう言う事を書く事のほうが、子供っぽいんですよね。実のところ(^^; でも、帰結しますけど、妙に大人になっちゃってる人が増えてるのもどうかなぁ〜と思ったもので。

6万円台のは、消えましたが、まだキャンペーンやってますね。nx9030

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